アメコログ

アラフォーうつ病女の闘病記録

2019年4月からの経過

2019年4月

体調に加えてメンタルも落ち、仕事を辞め、泣きながら実家に帰る。

希死念慮に駆られ、とにかく落ち着かない毎日。過去のことを後悔し、未来に悲観して泣く。

 

2019年5月

地元のメンタルクリニックへ。「うつ病」と診断。

処方された薬を飲みはじめると、徐々に元気に。自主的に勉強を始めたりする。

 

2019年9月

早く治すためと薬が増える。

 

2020年4月

気持ちはまだ不安定。

 

2020年5月

母が通っている脳神経内科の先生が気にかけてくれ、系列のメンタルクリニックを紹介される。

 

2020年6月

紹介されたクリニックで「薬の量が多い」「減薬に苦労する薬が処方されている」「うちでは扱えない薬が処方されている」と言われ、系列のさらに大きい病院を紹介される。

 

大きい病院で診てもらい、わかったのが「ADHDじゃないのにADHDの薬が処方されている(この薬が無理矢理、元気にさせていたらしい)」「太る副作用の薬がある」ということ。

 

2020年7月

紹介された大きい病院の精神科へ転院。薬の離脱症状が起こり、希死念慮や毎日泣くなど、症状が元に戻る。


希死念慮が続き、先生にも「このままでは入院」と言われる。それは嫌だったので、病院では希死念慮のことは言わなくなる。


2020年夏〜秋

気持ちは沈んだまま。

 

2020年9月

運動の作業療法を始める。

 

2020年11月

行くのがだんだん億劫になり、運動の作業療法をやめる。


2020年12月

長い間、入院していた父が亡くなり、また悲しい気持ちになる。


2021年2月

デザインの仕事をいただけそうだったが、頑張る気持ちになれずに曖昧な返事。まだできないという気持ち。先方の事情でこの話はなくなる。

仕事で体調を崩したことを思い出したり、この先仕事ができるのか考えたり、不安になる。


2021年3月下旬

たまたま見たTweetがきっかけでタイドラマを見たら、突如ハマる。そのドラマに出ていた俳優の情報を追いかけ始める。


2021年6月

主治医に、次のステップにいけるのはどんなときか、薬の減るタイミングのことを聞くが、よくわからず。


2021年7月

何かやりたい気持ちになり、Adobeソフトを契約する。タイ俳優の情報を集めたく、タイ沼Twitterアカウントを開始。


2021年11月

タイ俳優のカフェイベントの告知画像デザインを制作させてもらう。

楽しくできた。複雑なことを考えられたし、もう無理…と思っていたデザインの仕事ができた。リハビリになった。


2022年1月

障害状態確認届の書類には「反復性うつ病性障害」と書いてあった。自分はそういう病名なのか。